過去記事でシューマンやその妻クララの話は何度か取り上げたことがあります。
まだ読んでいない方はこちらからどうぞ。
シューマンの薬指
シューマンのショパン
シューマン「クララさんを僕に下さい」、義父「断固反対!」
今回はここにブラームスを参加させます。
ブラームスと言うと「ラプソディ 第1番 ロ短調 作品79-1」が好きですね。
一度聴いたら忘れないインパクトのあるメロディです。
エピソードは1853年、ドイツのデュッセルドルフ。
一人の無名の青年が、当時の音楽界の大家、ロベルト・シューマンの自宅を訪ねたところから始まります。
青年の名は、ヨハネス・ブラームス。
当時弱冠20歳でした。
彼が持参した自作のソナタをピアノで弾き始めた瞬間、シューマンは直感します。
「ついに、時代が待ち望んだ天才が現れた」と。
シューマンはブラームスの才能を世に知らしめるため、自身が主宰する音楽雑誌で「新しい道」という寄稿文を書きました。
「彼こそは、時代の精神を最高に表現すべき運命を担って現れた騎士である」
この熱烈な推薦により、ブラームスは一夜にして音楽界の寵児となります。
しかし、この幸福な師弟関係に、暗い影が忍び寄っていました。
シューマンは持病の精神疾患が悪化し、ライン川へ身を投じるという衝撃的な事件を起こします。
一命を取り留めたものの、療養所生活を余儀なくされた師。
残された妻クララと6人の子供たち。
この絶望的な状況で立ち上がったのが、ブラームスでした。
彼はシューマン家と同じ建物に住み込み、家計の管理や子供たちの世話を引き受け、演奏旅行で家を空けるクララを献身的に支え続けたのです。
ブラームスがクララに宛てた手紙には、師の妻への、尊敬を超えた深い愛情が綴られています。
「あなたなしでは、私はもう生きていけません」
「愛するクララ、あなたを想うだけで胸がいっぱいになります」
しかし、二人が一線を越えることはありませんでした。
ブラームスにとってシューマンは、自分を見出してくれた「恩師」であり、生涯尊敬すべき対象だったからです。
シューマンの死後も、ブラームスとクララの交流は40年以上にわたって続きました。
二人が結婚することはありませんでしたが、ブラームスは新曲を書き上げるたびに、まずクララに譜面を送り、彼女の意見を仰いだといいます。
1896年にクララがこの世を去ったとき、ブラームスは葬儀に駆けつけ、追悼のために『4つの厳かな歌』を書き上げました。
そしてそのわずか1年後、彼もまた後を追うように旅立ったのです。
いかがだったでしょうか?
ブラームス、男前ですね。
でも、ちょっとさびしい。
師匠は亡くなったのだから、師匠の妻であるクララと結ばれてもよかった。
そう思うのは私だけでしょうか?

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