ショパンの家(オリンポス神殿)

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 「ピアノの詩人」こと、フレデリック・ショパン。
 彼の生み出す音楽は、まるで洗練されたサロンで優雅な貴婦人が奏でているかのように、繊細でロマンティックですよね。

 そんな彼の音楽性には、彼の意外な一面、すなわち「超がつくほどのキレイ好き(神経質)」な性格が深く関わっていたことをご存知でしょうか?

 今日は、ショパンの完璧主義と、それにまつわるちょっと面白いエピソードをご紹介します。

 ショパンは、パリの社交界において「プリンス」と呼ばれるほどの人気者でした。彼は大勢が集まる大きなコンサートよりも、上流階級の少人数制のサロンでの演奏を好みました。

 こうした場で最高のパフォーマンスをするため、彼は常に身なりに並々ならぬこだわりを持っていました。

 高級ブティックやテーラーで超高級服地でオーダーメイドした燕尾服やフロックコートを主軸に、色調はシックな黒・灰色・濃茶を採用していました。
 手袋やステッキ、靴、帽子なども当時の流行の最先端を取り入れつつも派手にならないよう心がけていました。

 その費用はとても莫大なもので、売れっ子の音楽家であったショパンの収入をもってしても生活がひっ迫するほどでした。

 これは、彼の芸術家としてのプライドと、上流階級のサロンで完璧な存在として認められたいという強い願望の表れであったと言えるでしょう。

 さらに彼の繊細で神経質な性格は、その音楽だけでなく、日常生活にも現れていました。
 身の回りが整理整頓されていないと落ち着かず、自分の環境を完璧に整えることを求めました。

 ショパンは自分が住んでいたシテ・ベルジェール通りのアパルトマンの内装についても驚くほど細かいこだわりを持っていました。
 1839年、ジョルジュ・サンドとのマヨルカ島での休暇(「ショパン作曲 雨だれの前奏曲」の記事で登場)を終えてパリに戻る際、彼は友人であるユリアン・フォンタナ(「ショパン作曲 幻想即興曲」の記事に登場)に向けて自宅の準備を頼む手紙を送っています。

 その中で、新しい部屋の壁紙について、具体的な指示を出しています。

 彼は「以前のトルトゥレル(キジバト色)のような紙」を希望しつつ、さらにこう付け加えています。

 「ただし、ニス塗りをしてあって、光沢があり、境界線は濃い緑の細い縞模様のものを。
 私はツルツルした、非常に地味で、汚れのない清潔な印象のものが好きだ。
 だから、私はパール色が好きなのだ。
 それは、下品でもなく、ケバケバしくもないからだ。」

 壁紙の色や質感を「地味で清潔感のあるもの」「パール色」と指定し、さらに「汚いものはだめ」と強調するあたり、彼の生活環境に対するこだわりが尋常ではなかったことがわかります。
 彼の住居は、彼の繊細な芸術を育むための、完璧な「聖域」でなければならなかったのです。

 ショパンの親しい友人であったユリアン・フォンタナやヤン・マトゥシンスキ(医師でもあり、病弱なショパンの世話もしていた)はショパンのアパルトマンを神話に登場する「オリンポス」と呼んでいました。

 この「オリンポス」という呼称は、ショパンの部屋が単にゴージャスであるだけでなく、彼の極度の美意識と潔癖さによって、俗世間の汚れとは無縁の、完璧に整えられた優雅な空間であったことを、友人たちが皮肉と敬意を込めて表現したものだと解釈されています。

 ショパンは、この完璧な「オリンポス」で貴族の子女達にレッスンを行い、社交界のプリンスとしての地位を築いていたのです。

 「ショパンがリストに「ガチギレ」する話」の記事でショパンがリストにガチギレしたのもうなづけますね。
 この事件が発生した時期とショパンが「オリンポス」に住んでいた時期は重なるので、フランツリストが侵入したのはこの「オリンポス」だった可能性が高いです。

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