蛍の光、窓の雪・・・
日本人なら多くの人が中学や高校の卒業式で歌ったことがある「蛍の光」。
大人になってからも商店やレストランが閉店になる場合の合図として流れることが多く、日本人なら閉店を察してなるべく早めに退出する、という行動をとった経験もあるはず。
こんなに日本人の文化に根差した「蛍の光」ですが、実は原曲はスコットランド民謡の「オールド・ラング・サイン」という曲なのです。
「オールド・ラング・サイン」というのはスコットランド語でAuld Lang Syneとなり、これは英語でいうとOld long sinceにあたります。
意味は「古き良き時代」、「遠い昔」の意味で本来は古い友人と再会した際に酒を酌み交わしながら歌う歌です。
英語圏の国々では大晦日のカウントダウンで新年を迎える瞬間に歌われるのが定番ですが、これは去り行く旧年(古き良き時代)を惜しみ、懐かしむ」という意味が込められているからです。
こちらが原曲の歌詞になります。
動画があるので聞いてみてください。
Should auld acquaintance be forgot,
古い付き合いは忘れてしまうべきだろうか、
And never brought to mind?
二度と思い出さないままでいいのだろうか。
Should auld acquaintance be forgot,
古い付き合いや、
And auld lang syne?
古き良き時代を忘れてしまうべきだろうか。
For auld lang syne, my dear,
懐かしき時代のために、友よ、
For auld lang syne,
懐かしき時代のために、
We’ll take a cup o’ kindness yet,
一杯の酒(親愛の杯)を酌み交わそうではないか、
For auld lang syne.
あの懐かしき時代のために。
日本で愛されている「蛍の光」とメロディは全く一緒、だけれども歌詞は全く違う。
オールド・ラング・サインは友との再会、昔を懐かしむ歌、蛍の光は別れ、旅立ちの歌、です。
なぜこうなったのでしょうか?
そのエピソードもご紹介しておきましょう。
明治時代初期、政府は西洋に負けない近代国家を作るため、教育に西洋音楽を取り入れようとしました。
そこで1879年(明治12年)、文部省の中に「音楽取調掛」(現在の東京藝術大学音楽学部の前身)という組織を作ります。
責任者の伊沢修二と、アメリカから招かれた教師ルーサー・メーソンが、日本の学校で歌うための曲を選定することになりました。
最大の課題は、当時の日本人にとって西洋のドレミ(七音階)は馴染みが薄く、歌いにくかったことです。
しかし、伊沢とメーソンは驚くべき発見をします。
日本の伝統音階: 「ド・レ・ミ・ソ・ラ」の5音で構成(ファとシを抜くので「ヨナ(4番目と7番目の音)抜き音階」と呼びます)。
スコットランド民謡: 実はスコットランドの古い民謡も、同じく5音階(ペンタトニック・スケール)を基本としていました。
「オールド・ラング・サイン」を聴いた伊沢たちは、「これなら日本人も違和感なく歌える!」と確信したのです。
1881年(明治14年)、稲垣千穎(いながき ちかい)によって日本語の歌詞がつけられました。
これには中国の故事を引用、「蛍の光、窓の雪」というフレーズは、中国の「蛍雪の功(けいせつのこう)」という故事から来ています。
昔、貧しくて灯油が買えない学生が、蛍の光や窓に積もった雪の照り返しで勉強したというエピソードです。
また原曲は「再会」の歌ですが、日本では学校生活を終えて仲間と別れ、それぞれの道へ進む「立志」と「別離」の歌へと大胆に作り変えられました。
若い日本人のほとんどの人はこの事実を知らないと思います。
英語圏の人からすると、オールド・ラング・サインを鬼カスタマイズして日本の独自文化にまでしてしまい、愛し、歌い続けていることは驚き以外の何物でもないはずです。
もし外国人の知り合いがいたら是非、このことを教えてあげてください。
きっと驚くはずです。


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