クラシック音楽に興味がある方なら、フランツ・リストの名前を一度は耳にしたことがあるでしょう。
「ピアノの魔術師」と称され、その超絶技巧とカリスマ性で当時のヨーロッパ中を熱狂させたリスト。
本日は彼の意外な面に迫ってみたいと思います。
まずは彼の年収からです。
現代の感覚で「ピアニストの年収」と聞くと、おそらくそこまで高額なイメージはないかもしれません。
しかし、19世紀半ばのフランツ・リストは、まさに現代のロックスターのような存在でした。
彼の演奏会には多くの人々が押し寄せ、女性ファンは失神するほど熱狂したと言われています。
さて、具体的な金額ですが、当時の資料によるとリストの演奏会1回あたりのギャラは、なんと1700フローリン(現在の日本円で約340万円)にも上ったとされています。
これを彼の多忙な演奏活動に当てはめると、月収は概ね3000万円にも達していたという計算になります。(1か月に演奏会を10回くらいかな)
この数字を見ると、まさにケタ違いの収入であったことがわかりますね。
しかも、リストの収入源は、演奏会だけではありませんでした。
優れたビジネス感覚も併せ持っていたことを示す面白いエピソードがあります。
なんと、彼は自分自身の「キャラクターグッズ」の販売まで手掛けていたのです。
彼の肖像が彫られたチョコレートやステッキなどが販売され、これらが大ヒット商品になったという逸話が残っています。
現代でいうところのアーティストグッズの先駆けと言えるでしょう。
年収は億単位、キャラクターグッズ販売で数十億、数百億の資産を持っていたかもしれないですね。
これほどの巨万の富を築いたリストですが、彼はそれで贅沢三昧の生活をしていた訳ではありません。
むしろ、その多くを慈善活動や若手音楽家の育成に惜しみなく投じたことが知られています。
現代のアーティストたちも時々やるチャリティーコンサート。
リストは当然やってました。
・1838年のドナウ川大洪水の復興支援のためにチャリティコンサートを開催し、24,000グルデン(現在の日本円で約1億円)という多額の寄付をハンガリー政府に行っています。
・1842年のハンブルク大火の際にもコンサートを開催し、救援金を寄付しました。
・1845年にはベートーヴェンの故郷ボンに記念碑を建立する資金集めに、自らも多額の寄付を行い、その資金不足を補いました。
また、記念碑の除幕式のためにカンタータを作曲するなど、多方面から尽力しました。
・ドイツのイェーナ大学にある病院の建設資金のためにも寄付をしています。
さらに彼は無償で400人以上の弟子たちを指導し、優れたピアニスト育て上げました。
自らの才能と富を社会に還元する姿勢は、彼が単なる「魔術師」ではなく、高潔な精神を持った人物であったことを示しています。
リストの育てた偉大な弟子たちの何人かをご紹介しておきましょう。
(1)ハンス・フォン・ビューロー
名前くらいは聞いたことがある人がいるかもしれないですね。リストの娘コジマと結婚しました。
リストの最も重要な弟子の一人で、卓越したピアニストであり、また偉大な指揮者としても知られています。
ブラームスやチャイコフスキー、ワーグナーの作品の初演に貢献しました。
(2)カール・タウジヒ
リストが「自分の後継者」とまで言ったほどの天才的なピアニスト。
超絶技巧の持ち主で、惜しくも29歳の若さで亡くなりましたが、その演奏は伝説となっています。
(3)アレクサンダー・ジロティ(シロティとも言う)
ロシアの著名なピアニストで、指揮者としても活躍しました。
私の大好きなラフマニノフやスクリャービンなど、多くのロシアの作曲家・ピアニストに影響を与えました。
ピアノの魔術師であり、ビジネスマンであり、大富豪であり、慈善家、教育家、の一面も持っていた。
リストはピアノだけでは語れない偉大な人物でした。


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